【FXライター高城のFXで稼ぐ方法は勝者に訊け!】上田眞理人さん(その1)壁の崩壊とドイツマルク
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今週から、上田眞理人さんについてのコラムが始まります。
⇒上田眞理人さん(その1)壁の崩壊とドイツマルク
⇒上田眞理人さん(その2)高金利幻想とネットロング
⇒上田眞理人さん(その3)FXに必要な5つのルール
⇒上田眞理人さん(その4)トランプ砲がもたらした変化
■為替市場で35年以上のキャリア
「儲かった相場はあまり覚えていないんですが、大損した相場ほど覚えているものなんです。たとえばベルリンの壁が崩壊したときの相場ですね」
そう振り返るのはFXプライムbyGMOの上田眞理人さんだ。上田さんのキャリアは長い。為替ディーラーとしてのキャリアのスタートを切ったのは1983年。それ以来、為替ディーラーとして、あるいはFX会社の経営陣の一角として為替市場を見つめ続けてきた。
「為替市場に携わるようになったのは東京銀行ニューヨーク支店でしたが、本格的に取引するようになったのは日本へ帰国してからです。『ドルマルク(米ドル/ドイツマルク)をやれ』と言われたんですが、知識も経験もゼロ。何もない状態で始めたこともあって、収益はボロボロ。さすがに『このままではいかんな』と思い、『チャートをしっかり見る』、『取引におけるルールを決める』という2つのことから始めたことで、5か月目から為替ディーラーとして収益を上げられるようになりました」
それ以降、為替ディーラーとしての地位を確たるものとし、外資系金融機関を渡り歩いた上田さん。印象に残る相場として教えてくれたのが、「大損」した1989年のドルマルク相場だった。
■ベルリンの壁崩壊で進んだドイツマルク高
「ベルリンの壁が崩れる前、私は『そろそろ崩壊しそうだ』という情報をつかんでいました。東西ドイツの統一はマルク高材料でしたし、ベルリンの壁が崩壊してから実際にドルマルクの相場は下落(ドル安マルク高)しました。しかし、結果としてエントリーが早すぎたんですね。売った直後からドルマルクは上がり始め、耐えきれずに損切りしてから、程なくしてベルリンの壁崩壊のニュースが流れ、ドルマルクは下落したんです」
ベルリンの壁崩壊は1989年11月。東西ドイツ統一によるマルク需要の高まりからマルク高が進行した。上田さんの目論見は当たっていたが、エントリーが早すぎたことになる。
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■日本人の国民性がFXにハマった
「猛烈に動いたということでは1998年のLTCM(ロングターム・キャピタルマネジメント)破綻や、2001年の9.11テロ事件も印象的でした。2001年のときはまだ現役のディーラーでしたが、事件が起きたのは帰宅後。一報を聞くとともに急いでオフィスへ戻り、朝まで取引していました」
LTCMが破綻した1998年には日本で外為法が改正され、個人投資家のFX取引が解禁された。その5年後、上田さんは活躍場所をFX会社へと移す。
「日本人は比較的、外貨への関心が高いんでしょうね。低金利が続いていましたし、海外旅行も一般的ですから外貨への抵抗もあまりありません。ですから、投資でも自然と外貨へと目を向けられる。ところがアメリカだと環境が大きく異なります。自国通貨のドルが基軸通貨ですから、個人レベルでは外貨への分散投資を積極的に考えないのでしょう」
日本人の国民性との相性もよかったのか、FXは急速に広まっていく。そんな中、上田さんには懸念も生まれていた――。
上田眞理人さん(その2)へ続く。
上田眞理人さんのコラムは全4回となっています。
⇒上田眞理人さん(その1)壁の崩壊とドイツマルク
⇒上田眞理人さん(その2)高金利幻想とネットロング
⇒上田眞理人さん(その3)FXに必要な5つのルール
⇒上田眞理人さん(その4)トランプ砲がもたらした変化
【プロフィール】
上田眞理人さん
1983年、東京銀行ニューヨーク支店で為替ディーラーに。その後、モルガン銀行など外資系金融機関でチーフディーラーや外国為替部長などを務め、2003年よりFXプライムbyGMOへ。個人投資家とも積極的に交流するなど、インターバンク市場と個人投資家向けFXの双方に精通する。