【FXライター高城のFXで稼ぐ方法は勝者に訊け!】石塚彰人さん(その1)歴史は韻を踏むだけ
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今週から、石塚彰人さんについてのコラムが始まります。
⇒石塚彰人さん(その1)歴史は韻を踏むだけ
⇒石塚彰人さん(その2)茶髪・ロン毛のディーラーは誰?
⇒石塚彰人さん(その3) 外国為替市場の「通説」を疑う
⇒石塚彰人さん(その4)大手ヘッジファンドが気にしていたこと
■「有事のドル買い」が通じなくなる転機
「歴史は繰り返さない。ただ韻を踏むだけ――マーク・トウェインの言葉です。為替市場でも過去に経験したイベントと似たようなことはたびたび起こりますが、市場の反応の仕方は少しずつ違います。時にはまったく逆の反応の仕方がありますが、よく調べてみると深いところでは『韻を踏んでいる』こともあるのです。」
そう話すのはシティバンクやゴールドマン・サックスなどで活躍し、為替市場の「現場」を知る石塚彰人さんだ。
「シティバンクのディーリングルームに入ってすぐに翻弄されたのが湾岸戦争(1991年)でした。『有事のドル買い』のはずですが、開戦直後から米ドルが売られた。あのときから『有事のドル買い』は通用しなくなりました」
戦争の歴史は繰り返されるが為替市場の反応の仕方は変化していく。石塚さんが為替市場で経験した1991年の湾岸戦争は「有事のドル買い」から「リスクオフの円買い」への転換点だったのかもしれない。
■新卒1期生でゴールドマン・サックスへ
「当時はまだディーリングルームのいちばん下っぱ。お昼休みには新卒1年目のメンバーと一緒に先輩方みんなの分のお弁当を買いに行ったりしていました。ただゴールドマン・サックスでの経験があったためか、それもすぐに卒業させてもらえましたが」
石塚さんが大学を卒業後、入社したのはゴールドマン・サックスだった。
「ゴールドマン・サックスでは市場部門ではなく、投資銀行部門での採用でした。日本ではほとんど存在を知られていない会社でしたし、当時の東京支店は100名前後しかおらず陣容も揃っていない。そんな中で本格的にIPOビジネスを立ち上げようということで任されたのが24歳だった私です」
不動産バブルが極限まで膨張して、そしてはじける1980年代末から90年代初頭のことだった。
■リーバイス、アムウェイなどのIPOを手掛ける
アメリカの投資銀行であるゴールドマン・サックスだから、日本子会社や日本企業と立ち上げたジョイントベンチャーのIPO案件が本社から持ち込まれることもあった。
「スムーズに上場できる案件は日本の大手証券が引き受けますから、東京支店が深い関与を指示されるのは何らかの課題を抱えた会社ばかり。リーバイス(リーバイ・ストラウス・ジャパン)や日本アムウェイなどは本国の親会社が非公開企業であったため、日本の上場基準的だとIPOは難しい。『なぜ親会社が非公開だと上場できないのか』と、東京証券取引所や日本証券業協会の上場審査担当とそのルールができた背景や本質的な問題点について議論しながら課題をほぐしていき、上場へとこぎつけました」
株式市場に関わる仕事ではあるが、国際的なマーケットビジネスとは縁のない部門。石塚さんの関心は少しずつ、国際金融マーケットのビジネス、その中でも特にそのころニュース番組を賑わしていた為替へと移り始めていた。
■投資銀行部門からマーケットサイドへ
「投資銀行部門も知的好奇心がそそられ、IPOの様に結果さえ出ればやりがいのある分野ではありましたが、それでも1日16時間勤務があたりまえのような生活。朝は電車で通勤するものの帰りはタクシー。電車で帰った記憶がありません」
IPO案件はそう多くあるわけではなく、もうひとつの中心業務だったM&Aでも苦戦を強いられた。
「何日間も深夜までかけて提案資料を作成し、たくさんの著名企業に案件を持ち込んだところで会社の知名度が低かったこともあって、成約は難しい。ハードワークは苦ではありませんが、もっと達成感のある仕事をやりたい、短期間で結果の出るマーケットサイドのビジネスをやりたい――そんな思いが芽生えていました」
石塚彰人さん(その2)へ続く。
石塚彰人さんのコラムは全4回となっています。
⇒石塚彰人さん(その1)歴史は韻を踏むだけ
⇒石塚彰人さん(その2)茶髪・ロン毛のディーラーは誰?
⇒石塚彰人さん(その3) 外国為替市場の「通説」を疑う
⇒石塚彰人さん(その4)大手ヘッジファンドが気にしていたこと
【プロフィール】
石塚彰人さん
大学卒業後、日本における新卒採用1期生としてゴールドマン・サックスへ入社。1991年から約10年シティバンクで為替、デリバティブ、債券のディーラー。その後はマーケットから離れ、複数企業でCFOとして経営に携わった。直近では東京スター銀行執行役などを務める。シティバンク時代には西原宏一さんや田代岳さん、和田仁志さんなど錚々たるメンバーと机を並べる。現在も個人投資家としてファンダメンタルズ分析を中心にFXを取引する。